秋も深まり、冬のにおいが漂う季節となりました。
今日の大阪は快晴で、青い空はまるで絵の具で書いたようにきれいな色でした。
近畿地方は今がまさに紅葉の見ごろとなっていて、赤と青のコントラストがとても綺麗ですね。
実は私、「紅葉狩り」のことを、リンゴ狩りやブドウ狩りと同じようにもみじの葉を持って帰って、天ぷらかなにかにして食べるもんだと、社会人になってしばらく経つまで思い込んでおりました(笑)。
本来「狩り」は獣や鳥を追い立てて捕らえる狩猟のことですが、いつの頃からか、植物も「狩り」の対象となりました。
キノコ狩り、山菜狩りなど、野山に入って野生の植物を採る意味にも使われます。
そのうち、山野に分け入ることそのものを「狩り」と表現するようになり、何も採らずに鑑賞をすることも「狩り」というようになったようです。
確かに、紅葉を求めて険しい山を登り、絶景を探しさまよう様子は、動物や植物を探す「狩り」と同じかもしれませんね。
ちなみになぜ私がもみじの葉を天ぷらにすると思ったのかというと、大阪には実際にもみじの天ぷらを売っているところがあるのです。
数ある紅葉スポットの中でも、「滝」と「紅葉」が両方楽しめる絶景ポイントとして有名な「箕面(みのお)の滝」では、滝のすぐ近くでもみじの天ぷらが売られていますよ。
そこらへんに落ちているもみじを揚げているわけではなく、食用に育てたもみじの葉を一年間漬けておき、ゆっくりと長い時間天ぷら油で焦がさないように揚げているそうです。
新型コロナの感染が再び広がっているさなかですが、密を避けて、自然のパワーをもらいに行ってみてはいかがでしょう。
さて、今回は秋にちなんだこんな言葉をご紹介します。
「危急存亡の秋」
なにやらただ事ではない雰囲気が漢字から見て取れますね。
「ききゅうそんぼうのあき」と読んでしまいますが、これは間違いです。
正しくは「ききゅうそんぼうの“とき”」と読みます。
「危急存亡」の四字熟語として使われることもあり、意味は同じです。
「危急」は危険が差し迫っている様子、「存亡」は生きることと死ぬことを表しています。
「秋」は季節を表す使い方がごく一般的ですが、辞書で調べてみると「あき」以外にも「しゅう」「とき」と読むことが載っており、「季節の秋」以外に「としつき」や「大事な時」という意味があります。
つまり、「危急存亡の秋」とは、生死にかかわる切迫した状態で、生き延びるか滅びるかの瀬戸際、岐路に立たされている状況を表しています。
また、この言葉は個人ではなく、会社などの組織や団体の状況について使われるのが一般的です。
この言葉は「三国志」で有名な諸葛 亮(しょかつ りょう)が、仕えていた皇帝・劉 禅(りゅう ぜん)に奏上した「出師表(すいしのひょう)」に出てきます。
出師表とは、戦いに赴く際に臣下が主君の面前で読み上げる文章で、将軍の立場であった諸葛亮が劉禅に提出したものが最も有名です。
時は2世紀、中国を統一していた後漢王朝は、政治権力の増大や官僚の党派の対立などに不満がくすぶり、黄巾(こうきん)の乱と呼ばれる農民の反乱を発端に各地で内乱が起こりました。
さらに、皇帝が亡くなって王朝の求心力が衰え、3世紀に入り、豪族たちが各地で王朝を建国しました。
これが、魏・呉・蜀の三国時代の始まりです。
北部の黄河流域を抑えていた魏、南部の長江下流域を支配した呉に比べて、内陸部の蜀は土地や経済、人口など、国力は圧倒的に弱いものでした。
蜀の初代皇帝・劉 備(りゅう び)は、建国にあたり、非常に優れた才能を持っていると噂されていた20歳も年下の諸葛亮のもとを3度も訪れ、何とか手助けをしてほしいと頭を下げたと言われています。
これが、故事成語「三顧の礼」の語源となった出来事です。
劉備が亡くなった後を引き継いで2代目皇帝となった劉備の息子・劉禅はその時なんと17歳。
戦乱の世の中で国を守るには若すぎた劉禅はまだまだ遊びたい年ごろで、政治のことに関しては諸葛亮の言われるがまま。
諸葛亮は大臣として、政務から軍の指揮まで全権を担っていました。
蜀を建国した劉備はもともと、魏が支配をしていた地域である河北地方の出身であり、何としても魏を討伐したいと考えていました。
その意思を受け継いだ諸葛亮は、呉と手を組んで幾度となく魏に戦いを挑み、領地を奪い奪われを繰り返していました。
前出の「出師表」は、その魏討伐に向かう際に諸葛亮がしたためたもので、文才があった諸葛亮が書いたものの中でも「この出師表を読んで泣かない人はいない」と言われるほど、忠義を尽くした格調高い名文が並んでいます。
豪族育ちで危機感をあまり持っていなかった劉禅に向けたその出師表の書き出しは次のような文章になっています。
臣亮言
先帝創業未半 而中道崩殂
今天下三分 益州疲弊
此誠危急存亡之秋也
然侍衛之臣 不懈於内 忠志之士 亡身於外者
蓋追先帝之殊遇 欲報之陛下也
誠宜開張聖聴 以光先帝遺徳 恢志士之気
日本語にすると、
「臣下の諸葛亮が申し上げます。
先帝(先代の皇帝である劉備)は、漢王朝の再建という大仕事の道半ばで崩御なさいました。
今、世の中は三国に分裂をし、(蜀の領地である)益州は厳しい経済状況で疲弊しています。
今まさに、蜀がなくなるか存続するか、『危急存亡の秋』であります。
しかしながら、皇帝にお仕えする臣下たちが宮中の仕事をおろそかにせず、忠義を尽くしわが身を忘れてお仕えをしておりますのは、
先帝から賜った厚遇に感謝をし、お気持ちに報いようとしているからなのです。
誠にどうか、良き人材を大切にし、周りの意見を広く受け入れ、先帝のご遺徳を手本として、家臣たちの志を高めてください。」
この日本語訳を読むだけでも、非常に危ない状況が差し迫っており、劉禅に自覚を促す様子がうかがえます。
こうして、魏との戦いに挑んだ諸葛亮は、およそ7年後、戦いの途中で病に倒れ亡くなります。
諸葛亮亡き後も魏との戦いは続き長引いた結果、もともと国力に劣っていた蜀は魏に敗れます。
さらにその後、魏ではクーデターが起こって晋となり、晋が呉を滅ぼしたことによって、激しい三国時代は幕を下ろしました。
三国時代を題材にした漫画やアニメ、ゲーム、小説などは非常に多く、漫画の三国志を読んで歴史を知った人も多いと思います。
当時の有名武将の言葉には名言が多く、また人生の教訓となる事柄が多いことが、人気の理由のひとつであるようですね。
また、自らの興隆と繁栄を求めて独立した魏、呉、蜀は、結局三国とも天下統一をなし得ることができず、主人公となる人々は全て、志半ばにしてこの世を去ったというはかない事実に、心を揺さぶられた人も多いのではないでしょうか・・・。
さて、「秋」が「大事な時」という意味を持つようになったのには理由があります。
それは、「秋が1年で一番大事な時期だったから」です。
なかなかピンとこないかもしれませんが、農業が経済の中心だった時代、秋は穀物を収穫する1年で最も重要な季節でした。
国民の多くが農家だった当時は、秋の収穫が今後の1年を左右する、ひいては国の存続に関わるスペシャルビッグイベントだったのでしょうね。
師も走る12月まであと2週間。
年末は多くの業界が1年で最も多忙となる時期です。
特に今年は新型コロナウイルスの影響もあり、体調を崩しても気軽に病院に行けない状況です。
心と体のお疲れはスパーダでスッキリ吹き飛ばしてコンディションを整え、忙しい季節に向かって健康に過ごしてくださいね。