退店のお知らせ(良太郎)

皆さん、毎日暑いですね。いかがお過ごしでしょうか?

以前のブログで申し上げたのですが、良太郎は今、これまで恥ずかしくて着られなかった憧れの「タンクトップ」を着て夏を謳歌しています!
(…人前で全裸になるのは平気なのに、タンクトップを着るのが恥ずかしいなんて可笑しいですが…)
これからもっとファッション負けしないゴツい体を作っていきたいと思います!来年の夏は更に胸はって堂々とタンクトップを着たいと思います!

さて、「退店のお知らせ」と随分あっさり単刀直入な題にしてしまいましたが、、

良太郎は2016年9月に入店させて頂き、間もなく丸3年になります。皆様がご指名して下さったお陰で大好きなこの仕事を続けることが出来、その間にストレッチ専門店に勤務したり他店で施術を受けたり整体ボディセラピーの勉強をしたりして、SPADAで教わった土台プラス後に学んだことを如何にエロと融合させるか考え、経験を積ませて頂くことが出来ました。

そうこうしているうちに自分でやってみたくなり、昨年10月からSPADA店長の許可を得て名古屋や東京で良太郎個人での出張を行うようになっておりました。
そして今回、お世話になったSPADAから独立する形で良太郎の個室サロンを10月上旬、中崎町駅(東梅田駅)近くにオープンすることに致しました!

こんなに堂々とお話出来るなんて、本当に有り難い限りです。

よって、このような経緯からお世話になったSPADAを9月一杯で退店致します。…まだちょっと居ます(笑)まだ辞めませんよ~!

あと1ヶ月半、新サロンの準備をしながら出来る限り出勤をし、SPADAのスタッフとして精一杯過ごしたいと思います。
ご予約も、お待ちしておりますね(^_-)≡★

また進捗状況はちょいちょい本ブログで報告したいと思います。

それでは皆さん!体調崩さないようスイカ食べて元気に過ごしましょうね!スイカ食べると元気が出ますよ。またまた、お会いしましょう!

東海道を歩いてきました(その18)

夏が来ました!嬉しい嬉しい、夏です!
良太郎はいよいよ、今年の夏は長年の夢だった「タンクトップを着て外出する」を実践したいと思います。
昔からコンプレックスを持っていたこの体、やっと、やっと、そろそろタンクトップを着ても良いと自分で許可を出せるところまで来ました。
ここまで長い道のりでしたし、まだまだ筋肉が足りないと思っているのですが、ひとまず中間目標を達成ということで今夏は露出したいと思います。
筋トレも東海道と同じで、ゆっくりゆっくり進んで行くのですね。

…と言うことで、毎度お馴染みの東海道シリーズ。
千里の道も一歩から。まだまだ目的地までは遠いですが、歩き続けていればきっと着きますよね!
今回は第18弾「江尻」になります!

18.江尻(えじり)静岡県静岡市

山と海に挟まれた小さな宿場、興津(おきつ)を出ました。ここから少しずつ山が遠くなり、海との間に平地が広がっていきます。住宅やマンションが増え始め、JR清水駅を過ぎると商店街も現れます。
今まで小さな街を歩いていたので、とても活気ある街のように見えます。

江尻宿は清水湊(みなと)が近くにあり、江戸時代より大坂と江戸の中継港として、また駿府城への物資を運ぶため大型船が出入りし、大変栄えた宿場になります。
明治時代以降も国際貿易港として重要な役割を果たしましたが、それ故に大戦中は米軍より集中的に狙われることとなり、現在は江戸時代を感じさせるような物は残っていません。

さて、江尻宿は「川の下流・尻」という意味から名前がつき、巴川が作った砂州の上に出来た宿場になります。
湊の近くには上空から見るとカギ型の出っぱりがあって、そこには日本三景のひとつ「三保の松原」があります。

三保の松原には「羽衣伝説」が伝わっておりますので、ご紹介しますね。

昔、白龍という漁師が松原で羽衣を見つけた。そこに天女が現れ、羽衣を返すよう頼んだ。白龍は「踊りを見せてくれたら返しましょう」と言った。それに対し天女は「羽衣がないと踊れません」と言った。白龍は羽衣を返したら天女がそのまま帰るのではと疑ったが、天女は「天女である私が嘘をつく訳がない」と諭し、白龍から羽衣を返してもらう。天女は約束通り、舞を見せてから天に帰った。

…いかがでしたか?普通の話でしたか?

さぁ、次回はいよいよ駿河国の中心地、五十三次中最も人口が多かった江戸時代の大都会「府中宿」です。お楽しみに!

江尻宿の人口(天保14):6498人

家の数(天保14):1340軒

名物:追分ようかん

最寄駅:JR東海道線・清水駅

東海道を歩いてきました(その17)

良太郎です!
やっと梅雨に入りますね。雨が降ると皆さんSPADAに来られるのが億劫になるかと思いますが、こんな時こそ!予約できるチャンスです。
普段気になってるけど予約が取れない…そんなスタッフは居ませんか?今がチャンスですよ!
そして、また良太郎の所に帰ってきて下さいね\(^o^)/

梅雨が終わればいよいよ…!夏の到来です!!

それでは毎度お馴染みの、良太郎東海道シリーズ。
今回は第17弾「興津」になります!

17.興津(おきつ)静岡県静岡市

山と海に挟まれた、小さな宿場「由比宿」を出ました。引き続き狭い平地を海に沿って歩いて行きます。江戸時代以前は、道を通すスペースすらない区間もあったようで、そのような所は波が引いたタイミングで素早く渡っていたということです。

そのような不便な道ですが、江戸時代、朝鮮通信使が通る際に付け替えられ、山の急斜面中腹に「さった峠」が出来ました。

江戸時代に出来たさった峠の東海道は今でも歩くことが出来、富士山と駿河湾、伊豆半島、狭い平地の中に国道や東名高速・JRが通る様子が一望出来る「絶景ポイント」となっています。
天気や光の加減で富士山や駿河湾の様子が変わり「色々な表情が撮れる」と、さった峠に通う写真愛好家もおられるようです。

江戸時代の興津宿の名物は鯛。徳川家康の好物だったようです。因みに家康は最期、鯛に当たって死んだと言われています。
また製塩が中心産業で、興津から甲府方面に出ている「身延道」を通って興津の塩が内陸部へ運ばれていた、ということです。
静かな宿場ですが、交通の要所でもあったんですね。

さて、前回今回と静かな宿場を歩いて来ましたが、次回からは再び都会へ!静岡市街地へと入って行きます。

お楽しみに!

興津宿の人口(天保14)1668人、家の数316軒

名物:興津和紙、興津鯛

最寄駅:JR東海道線・興津駅

東海道を歩いてきました(その16)(良太郎)

良太郎です!

早いもので、もうすぐ一年の半分が過ぎようとしています。
最近まで夜は冷えるだの何だの言っておりましたが、最近は昼間の気温も30度を超え、夜も過ごしやすくなって参りました。
いよいよ夏の到来ですね!

それでは毎度お馴染みの、良太郎東海道シリーズ。
日本橋を出てから前回の蒲原までは比較的大きな街の連続でしたが、今回と次回は都市と都市の間、束の間のブレイク区間となりそうです。

16.由比(ゆい)静岡県静岡市

由比宿に着きました。山と海に挟まれた、小さな宿場です。人口も東海道の宿場の中ではかなり少ない方でした。漁業と製塩が中心産業で、駿河湾で獲れたサザエやアワビがそのまま壷焼きや刺身となって由比宿の名物になっていたようです。
…今だとこれらは贅沢品なんですけどね(^_^;)

特にこれと言った目玉が無かった由比ですが、明治時代に入ってから、一躍その名が全国に知られることとなります。
それは偶然発見された「桜エビ」の存在です。桜エビは、駿河湾でしか獲れないそうです。
江戸時代とは関係ありませんが、ご紹介させて頂きますね。

「明治27年のある日、地元漁師がアジ漁に使っていたアミをしまい忘れ、一晩放置してしまった。
その間にアミは海の深くまで潜ってしまい、翌朝引き上げた時に小さなピンク色のエビが沢山かかっていた…。」

この偶然を機に、由比は桜エビ漁で一躍有名になった、ということなんです。

江戸時代の名物ではありませんが、現在由比の街では桜エビを使った料理屋を見かけることが出来ますので、気になる方は是非、行かれてみて下さい!

それでは今日はこの辺で。

由比宿の人口(天保14)713人、家の数160軒

名物:サザエの壷焼き、アワビの刺身

最寄駅:JR東海道線・由比駅

こんにちは令和& 東海道を歩いてきました(その15)(良太郎)

良太郎です!
さぁ、新しい時代がやって来ました!去る平成時代も様々な面で変化は大きかったですが、新時代は更に何倍も大きな変化がありそうな予感がしています。これが良い変化であるように、日々願い、頑張っていきたいと思います。

それでは毎度お馴染みの、良太郎東海道シリーズ。記念すべき新時代幕開けを飾る宿場は……?
ドン!第15弾、蒲原です!派手に飾って頂きましょう!!それでは、始まり始まり~(≧▽≦)ノ.+゚

15.蒲原(静岡県静岡市)

内陸に移転した吉原宿を抜けました。現在は富士市街地となっており、車も多く市役所始め、マンションなど大きい建物も見られます。

住宅街を歩いて行くと富士川にぶつかり、橋を渡ります。勿論、江戸時代は渡し舟でした。
富士川は山梨県から流れており、江戸時代は海と内陸の産物を運んだ舟が盛んに行き来していたようです。
それに加えて東海道の渡し舟まで往来していたのですから、この辺りは相当賑わっていたんだろうと推測されます。

川を渡るとすぐに東海道は丘を登り、景色は一変します。電気はこの川を境に60ヘルツとなります。畑が現れ山はすぐそば、上り下りやカーブの多い道になります。

江戸時代の人々もしんどかったのでしょう。「間の宿」という休憩専用の地域(村)が設けられ、名物の「栗の粉餅」を茶店などで注文し、一服していたようです。

丘を下り、平地に下りると間もなく蒲原宿に入ります。
蒲原宿は設立当時はもっと海側にありましたが、津波の被害を受け、丘の近くまで所替えをしました。丘を下って間もなく宿場に入るのはこのためです。

蒲原宿は江戸時代、富士川の舟運の基地として大変栄えた宿場になります。
江戸時代の建物も東海道沿いに保存され、現代の東京から歩いて来ると、江戸時代の残り香を感じられる初めての宿場になるかもしれません。

蒲原宿の人口(天保14)2480人、家の数509軒

名物:栗の粉餅(間の宿岩淵村)

最寄駅:JR東海道線・新蒲原駅

平成を振り返って& 東海道を歩いてきました(その14)

良太郎です!
早いもので、もう平成も残すところあと僅かとなってしまいましたw(゜o゜)w
皆さん、平成の時代はいかがでしたか?僕はこの30年間、楽しいこと耐え難いこと迷いなど様々ありすぎましたが、こうして平成最後の数年間はSPADAに所属出来、皆さんと出会って前向きに過ごしていることを考えると、結果オーライで平成は僕にとって良い時代だったと思います。
お裾分けをさせて頂きたいので、皆さん是非是非SPADAにお越し下さい!
平成年間の総括であまり良い結論の出なかった方も、SPADAにお越し頂いて是非是非時代の最後を華々しく飾って頂ければと思います!

それでは良太郎お決まりの東海道シリーズ、平成最後を飾ってくれるのは第14弾、吉原です!一体どんな宿場なのでしょうか!?ワクワクします!それでは、始まり始まり~(≧▽≦)ノ.+゚

14.吉原(静岡県富士市)

沼津より海に沿って長く真っ直ぐ伸びていた道ですが、JR吉原駅の直前で急に右に曲がり、内陸へと入っていきます。
この辺りは江戸時代、東海道で江戸から京都に向かう際に、右手に見えるはずの富士山が左手に見えるという珍しいポイントになっており「左富士」と呼ばれていました。

吉原宿は、元々は海の近くにあったのですが、相次いで津波に襲われ二度移転した宿場になります。移転に伴って道を曲げたため、一時的に「左富士」になる区間が出来たという訳です。

一番海に近い、元々の吉原宿は「元吉原」、次に移転したのが「中吉原」、更に移転した先は「新吉原」と言われるようになったということです。

かつてこの辺りは「浮島ヶ原」という沼地で、ヨシが茂っていたところから「ヨシの原っぱ」吉原となったそうです。
沼津よりずっと沼地絡みでしたが、ここでやっと浮島ヶ原とお別れになります。

さて、次回からは令和の御代よりお届けとなります!
皆さん、ごきげんよう(^o^)/

吉原宿の人口(天保14)2832人、家の数653軒

名物:駿河半紙(これが現代の富士市の製紙産業の基になった)

最寄駅:岳南鉄道線・吉原本町駅

東海道を歩いてきました(その13)(良太郎)

良太郎です!
早いもので、もう4月も後半となってしまいましたw(゜o゜)w
皆さんは新年度、いかがお過ごしでしょうか?
今年は何だかおかしくて、つい最近まで寒い日もありましたが、気付けば桜も葉になりつつあり、変則的ではありますが確実に季節は進んでいるようです。
仕事に一息ついたら、是非是非SPADAへお越し下さいませ(^o^)/

さあ、またまたやって参りました!良太郎の東海道シリーズ。今回は第13弾、原です。それでは、始まり始まり~(^^)

13.原

整備された沼津の街を抜けると、東海道は海岸線に沿って真っ直ぐ伸びていきます。海岸線には「千本松原」という松林が沿っていて、その200m程内側を東海道が通っている感じです。

江戸時代はこの辺りは「浮島ヶ原」と呼ばれる広大な沼地で、人が住むのに向いていない土地でした。沼津も原も、この土地の状態を表して名付けられたものです。
江戸時代から明治にかけて「スイホシ」と呼ばれる干拓事業が盛んに行われ、多くの犠牲を払いながら徐々に田畑へと変わり、現在に至っています。この辺りに「○○新田」という地名が多いのはこのためです。

さて、昔は沼地で何も無かった原宿ですが、自慢出来るものが二つあります!
まずは景色。浮島ヶ原の大自然の後ろに大きな富士山がそびえている姿は、江戸時代東海道の絶景ポイントの一つだったようです。
そしてもう一つは白隠というお坊さん。原の出身で、メチャ偉いみたいです。

原宿は富士山からの湧水が豊かな所で今も水が湧き出し、地元で豆腐や酒作りに使われているようです。
江戸時代の名物は鰻の蒲焼!浮島ヶ原で捕った鰻を綺麗な水に2~3日つけておくと泥臭さが取れ、とても美味しいものになったようです。

さて、次回は海岸線に並行して浮島ヶ原を進み「吉原」に行きますよ(^o^)/
お楽しみに!!

原宿の人口(天保14)1939人、家の数398軒

名物:鰻の蒲焼

最寄駅:東海道線・原駅