筋トレ中~

こんにちは、スパーダブログ管理人です。

スパーダ筋肉軍団の一人、良太郎君が待機室で一生懸命筋トレをしていましたので、撮影してみました。

う~~ん、素晴らしい筋肉です。特に肩まわりがすごいですね。大胸筋も集中的に鍛えているそうです。
まだまだ身体を大きくしたいそうで、日々筋トレしているようです。

 

オイルトリートメントも日々練習を頑張っていますので、どんどん進化する良太郎君に会いに来てくださいね~!

ダブルトリートメント練習(管理人)

こんにちは、スパーダブログ管理人です。

さて、一時的に対応スタッフが少なくなってしまっている「ダブルトリートメント」ですが、現在、直也君と良太郎君が対応スタッフになるべく、練習しています。

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二人の速さ、圧、息を合わせないといけませんので、沢山の練習が必要となりますが、二人は意欲的に頑張ってくれています。

施術もそうですが、エロの要素も抜群のようです。笑

対応できるようになりましたらすぐにHP上にて発表いたしますので、もうしばらくお待ちください!

東海道を歩いてきました その5(良太郎)

良太郎です。新しい年になり、もう一ヶ月!新年早々に立てた「今年の目標」を達成すべく歩んでいるつもりですが、なかなか目に見えて変化がありません。
皆さんはこの一ヶ月、いかがでしたでしょうか?上り波、下り波、ありますよね。焦りや落ち込みが出る時もあるでしょうが、そんな時は一息入れて、是非是非SPADAにお越し頂き、気持ちをリフレッシュさせて下さいね!

さてさて、恒例の東海道を歩いてきましたシリーズ。今日は第5回「戸塚」になります。はじまりはじまり~!!

5.戸塚
お江戸日本橋を出て約十里(約40km)。日が傾いて参りました。第一夜のお宿はここ、戸塚で取ることにしましょう。

実は戸塚、家康によって東海道が制定された当初(1601年)は無かった宿場なのです!保土ヶ谷と藤沢の間が離れ過ぎていた上に、権太坂を始めとする難所が続いていたこと、日本橋から第一夜の宿を取るには丁度良い距離にあったこと等が重なり、他より3年新しく出来た宿場なのです。

ちなみに当時は男性が一日に歩く距離は40km、女性は30kmだったそうです。

それでは今日はこの辺で。もう寝ましょう。おやすみなさい。

戸塚宿の人口(天保14)2906人、家の数613軒

名物:うどん豆腐(豆腐を細長く切ったもの)

東海道を歩いてきました その4(良太郎)

良太郎です。ブログすっかりご無沙汰しておりました。最近は今まで以上にジムを頑張り、目標のベンチプレス100kgを早く達成できるよう燃えています!皆様も僕の体の変化を温かく見守って下さいね。

さて、良太郎の東海道を歩いてきましたシリーズ。今日は第4回ということで、今回の宿場は「保土ヶ谷」になります。お江戸日本橋を出発して、3つの宿場を通り過ぎて来ましたが、いよいよ今回で武蔵の国は最後になります!

それでは、参りましょう!

4.保土ヶ谷
旅人がお江戸を出て、第一夜の宿を求めるのは、ここ保土ヶ谷か次の戸塚かと言ったところで(実際は戸塚の方が利用客は多かったようですが)、保土ヶ谷は戸塚をライバル視していたようです。戸塚にお客が流れないように、宿の者も必死で旅人の足を止めていたようです。

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも、保土ヶ谷の留め女(宿の遊女)が盛んに客引きをする様子を見て、弥次さん喜多さんが興ざめする様子が書かれています。

保土ヶ谷を過ぎると「権太坂」はじめ、坂の連続。道中には「牡丹餅」「焼き餅」を売る店が多かったようです。昔の人も、疲れると甘い物が欲しくなったんですね。

ということで、今日はこの辺で!次回より相模の国へと入って参ります!お楽しみに!

保土ヶ谷宿の人口(天保14)2928人、家の数558軒

名物:牡丹餅、焼き餅

東海道を歩いてきました その3(良太郎)

良太郎です。お蔭様で、念願の睾丸トリートメントに対応となりました!
睾丸…。男性なら、皆そのデリケートさはお分かりでしょう(笑)。痛くないように、程よい力加減で施術するのが大変でしたが、練習を重ねて基準をクリアしたということで、ついに睾丸デビューとなりました!

皆さんに気持ちよくなって頂けるように精一杯させて頂きますので、どうぞお試し下さいね。

それでは第3弾、参りましょう!
良太郎の「東海道を歩いてきました」その3、始まり始まり~!!

今回の宿場は、お江戸日本橋を出てから3つ目、「神奈川」です!

3神奈川
横浜駅のすぐ近くにありますが、実は横浜駅は当時、湾の中でしたw(゜o゜)w
余談になりますが、横浜村は当時は大変寂れた村で、湾に蓋をするように砂浜が延びていました(横に浜が延びていたことから「横浜」と呼ばれるようになったということです)。砂浜なので農業も出来ず、中国に輸出するナマコ捕りとその加工で生計を何とか立てていたということです。
今の中華街辺りから細い砂浜が始まり、馬車道・桜木町辺りで途切れていたそうです。人口はたったの482人!!…これが大都市横浜の原形だったんですね。

…宿場の話を忘れていました。神奈川宿は幕末に外国との交流拠点として目をつけられ、寺院が次々と西洋諸国の総領事館や寄宿舎になった所で、あわよくば日本を植民地化しようとコッソリ企む西洋諸国と右往左往する日本人の駆け引きに巻き込まれた宿場になります。
マンションや個人商店、民家などが建ち並び、狭い旧街道沿いにお寺などは残っていて説明板もありますが、当時宿場として賑わっていた面影はありません。近くに横浜駅があるので、「大都会の地方」と言った感じです。
最寄駅は京急線の「神奈川駅」になります。

○当時(天保14)の神奈川宿の人口5793人、家の数1341軒

名物:黒薬(宿場内の本覚寺が販売していた薬。頭痛・めまい・立ちくらみ・脚気・痛風・打ち身・くじき・腫れ・切り傷・止血・打撲・安産・産後の肥立ち・せき・たん・虫さされ・やけど・疫病・痔など、信じてこの薬を用いれば治るということです。)

東海道を歩いてきました その2 (良太郎)

こんにちは!皆様のお陰で、一般スタッフになることが出来ました良太郎です。練習を重ね、やっと合格しました!今後も努力を怠らずに精進して参りますので、どうかよろしくお願い致します!!

さて、前回から始まりました、良太郎の「東海道を歩いてきました」シリーズです!

今回は2回目ということで、お江戸日本橋から2つ目の宿場、「川崎」についてご案内致します!
1はこちら

…あまり写真が撮れていないのですが、ちゃんと五十三次制覇していますからね~。 それでは参ります!

2川崎
駅前の飲み屋街、パチンコ屋など雑踏の中を貫いていて、とても歴史ある道には思えませんw(゜o゜)w
「京急川崎駅」が最寄りになります。

多摩川の河口に街があり、川の先にあるから「川崎」と名前がついたそうです。六郷の渡し船に乗って沢山の人や荷物が行き来し、川崎大師への参詣者も多かったことから大変賑わっていた宿場です。
もちろん、今も工業都市として賑わっていますけどね。

名物は「奈良茶飯」。豆や穀物を茶で炊いたもので、庶民はじめ参詣者や武士達も大好きだったようです。
今も奈良茶飯の現代式復刻版がありますので、興味のある方は川崎へ行かれてみて下さい!

おお、今回も長くなりました。今日もこの辺で。
○当時(天保14)の川崎宿の人口2433人、家の数541軒

東海道を歩いてきました(良太郎)

東海道って何?新幹線?いえいえ、ちがいますよ~。道です。
江戸時代に人々が行き交っていた旧街道を先日歩いてきました。
江戸の日本橋を起点に京都の三条大橋まで約492キロ、途中53か所の宿場(宿泊場所)がありました!

そこで、今後シリーズとして宿場のご案内をしちゃいます!
あまり写真が撮れていないのですが、ちゃんと五十三次制覇していますからね~。

それでは、今日は東海道最初の宿場「品川」についてです。
1品川
今は下町って感じで住宅や商店が建ち並んでいる「昭和」な街です。
え!品川駅前じゃないの?
そうです。実は品川駅は宿場から1キロ近く離れていて、住所も品川区ではなく、「港区」になっているんです。
京急線の「北品川駅」が最寄りなんですよ~。

品川宿は真ん中に目黒川が流れていて、北側が北品川、南側が南品川、東側は一面が海だったとか。
今では想像できないですね。
名物は「のり、芝エビ」。

京都から歩いて来ると終点間近なので遊ぶ人も多く、飯盛女(給仕だが事実上遊女)がたくさんいて、賑やかだったとか!
おお、長くなりました。今日はこの辺で。
○当時の品川宿の人口6890人、家の数1561件