東海道を歩いてきました(その12)(良太郎)

3月になりました!良太郎です。
時々寒い日もありますが、梅が咲いて気温も少しずつ上がり、日没も遅くなっていよいよ春も間近のように感じます(*^^*)
スパーダの最寄り駅、大阪天満宮駅の地上には梅が街路樹になっている区間があり、とても綺麗です。
是非是非、梅を見がてらスパーダにお立ち寄り下さいませ(^o^)/

さあ、またまたやって参りました、良太郎の東海道シリーズ。今回は第12弾、沼津です!それでは、始まり始まり~(^^)

12.沼津

大変賑わった三島の宿を後にし、東海道を京へと上って行きます。

途中、水がメチャメチャ綺麗な「柿田川湧水」があります。本当に、本当に綺麗です!是非、立ち寄って頂きたい!!
今は公園になっていて、遊歩道も整備され、湧水を使ったコーヒーやスイーツが売られています(^^)
この辺りは富士山からの地下水が湧いており、私達が目指している次の宿場「沼津」も、湧水のため辺り一面が「浮島ヶ原」と呼ばれる沼地だったことから名付けられています。

さて、沼津宿に着きました。江戸時代は鰹漁が盛んで、鰹節の生産量は日本一でした。今は道路が広く、近代的な街並みです。
沼津は明治以降、軍都として栄えた為、大戦中は米軍から格好のターゲットとなり、8回に渡って空襲を受けました。その為、歴史を感じさせる物は残っていません。

沼津を抜けると「千本松原」と呼ばれる松林に沿って東海道は続いています。次の宿場は、水の綺麗な「原」になります。お楽しみに!

沼津宿の人口(天保14)5346人、家の数1234軒

名物:鰹節

最寄駅:東海道線・沼津駅

東海道を歩いてきました(その11)

2月になりました!良太郎です。
毎日寒いですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?僕は昨年末、すでにインフルエンザにかかっているので、安心して日々を過ごしております。
皆さんはこれからがピークのインフルエンザ、十分にお気をつけ下さいませ。

さあ、またまたやって参りました、良太郎の東海道シリーズ。今回は第11弾、三島です!それでは、始まり始まり~(^^)

11.三島

箱根の関所を越えました。男性は女性と違ってチェックが緩いので、すんなりと越えられました。でも、チェックの際はやはり緊張しますね(^_^;

箱根の宿場を出ると、石畳の山道をどんどん登っていきます。さっきまで目の前にあった芦ノ湖も、随分と下になってしまいました。傾斜も急で、息が切れます。

…前回のブログで「箱根は東海道の制定当初は何もない所で、宿場にもなっていなかった」というお話をしました。では一体なぜ、こんな山の中に国の大動脈を通したのでしょう?

1,2,3,4,5,6,7,8,9,10。ピピー。時間切れ。

答えはズバリ、江戸を防衛する為。あえて通りにくい所に道を通すことで、仮に江戸を攻める者が現れたとしても、難儀をするんです。時間も稼げるので、その間に対策を立てられますからね。
だから江戸時代の東海道は、箱根のような難所も通るし、川にも橋を架けない。ちゃんと理由があったんですね。

散々上って下って、やっと下り切りました!
だんだん家が現れ、1km程進むと「三島宿」に入りました!久し振りの街で、ホッとした気持ちになります。

三島は東海道の中で唯一、伊豆の国にある宿場になります。
箱根を越えて来た私達にとってはやれやれと休息する宿場。そしてこれから箱根を越える人にとっては気合いを入れてしっかり休む宿場となっていました。
また、宿場の途中で下田街道&甲州道と分岐する、地図で見ると珍しい十字型の宿場になります。

宿泊客が多かった上に交通の要所ということもあり、大変賑わっていたようです。

三島宿の人口(天保14)4048人、家の数1025軒

名物:鰻、三島暦(みしまごよみ。今で言うカレンダー)

最寄駅:駿豆線・三島広小路駅

東海道を歩いてきました(その10) (良太郎)

新年、明けました。良太郎です!
昨年は皆さんに支えて頂いて、無事過ごすことが出来ました。
今年はリフレクソロジー(足裏)の資格を取ろうかなーと思っております。あと、手足を太くしたいです。
さあ、今年も頑張って参りますよー!どうぞよろしくお願い致しますp(^^)q

今年もやって参りました、良太郎の東海道シリーズ。今回は第10弾、東海道最大の難所、箱根です!それでは、始まり始まり~(^^)

10.箱根

小田原の宿を出ると、東海道は右に折れ、内陸へと入って行きます。箱根登山鉄道の線路に付かず離れず沿いながら、徒歩では気付かない程度の緩い坂を登って行きます。風祭、入生田を通り、湯本を過ぎた辺りから傾斜はきつくなっていきます。

やがて石畳の道が現れ、山の中を登って行きます。
さすが東海道最大の難所。なかなかキツいです。時々車道に出るのですが、なぜかホッとします。
自然に返りつつあるような道を進みながら、箱根の宿場に着きました。

ここには関所があり、入り鉄砲(江戸に武器を持ち込ませない)・出女(江戸に住む地方大名の奥さんが逃げないようにする)を取り締まっていました。手形(パスポート)無しに勝手に抜けた者は磔で処刑されます。

箱根は、東海道制定当初は何もない所で、人も住んでいませんでした。従って宿場ではなく、小田原の次は三島になっていました。ところが、これではあまりに負担が大きいので、間に宿場を作ることになったのです。
小田原と三島からそれぞれ50人ずつ連れて来て、住まわせました。
これが箱根宿の始まりです。

箱根宿の人口(天保14)844人、家の数197軒

名物:寄木細工

東海道を歩いてきました(その9) (良太郎)

こんにちは。良太郎です!師走に突入し、風邪の流行る季節になりますね。もうすでに喉をやられている人が多く、今年は特にうがいを念入りにしようと思っているところです。

さて、久し振りにやって参りました、良太郎の東海道シリーズ。今回は第9弾、いよいよ首都圏も最後となります!それでは、始まり始まり~(^^)

9.小田原
丘の上にある落ち着いた街、大磯を過ぎると国府津。そこから丘を下り酒匂川(さかわがわ)に来ました。

太古の昔、ヤマトタケルノミコトが東国征伐の際、この川にお神酒を流して龍神に祈願したところ、酒の匂いが消えなかったことから「酒匂川」と名前がついたそうです。
当時は江戸を守る為に川に橋をかけることが禁止されていたので、歩行渡し(かちわたし)で川越をしていました。
人足(にんそく)と呼ばれる人が有料で旅人を川の向こう岸まで負って渡していたのです。
これを越えると、間もなく小田原の宿場に入ります。

江戸を出た旅人は、1日目の夜を戸塚で、2日目の夜を小田原で過ごすことが多かったようです。

小田原は、東海道中最大の難色「箱根」を控えていたので、皆ここでしっかり休み、鋭気を養ってから出発したのでしょう。

江戸時代の小田原は大規模な宿場ではありましたが、度重なる災害、そして観光宿泊客は湯本に取られ、財政的にはかなり厳しかったようです。

さあ、小田原を越えると、いよいよ東海道中最大の難所。「箱根八里」に入ります!お楽しみに!!

小田原宿の人口(天保14)5404人、家の数1542軒

最寄り駅:JR東海道本線、小田原駅

名物:ういろう(仁丹のような薬)、梅干し、かまぼこ、ちょうちん

東海道を歩いてきました(その8)(良太郎)

良太郎です。皆さんお元気にされていますか?
日が大分短くなりましたね。17時過ぎに暗くなると、何だか寂しい気持ちにもなりますが、夜に部屋の中でホッコリするのも良いものです。
夜が長ければ長いで、それを楽しんでしまいましょう!

さて、久し振りにやって参りました、良太郎の東海道シリーズ。今回は第8弾です!それでは、始まり始まり~(^^)

8.大磯
平塚を過ぎて大磯にやって来ました!平塚と大磯間の距離は短く、僅か3km程しかありません。今までずっと街続きでしたが、この辺で一時的に静かになります。マンションや中高層の建物が無くなり、緑の多い落ち着いた住宅街となります。東海道沿いの松並木も立派です。東京から歩いて来ると、初めての松並木になるんです。…だんだん東海道らしくなってきましたね!
湘南発祥の地ということで、夏に東京方面から遊びに来る人も多いようです。
大阪で例えるなら、堺の浜寺のような所でしょうか…。

今日はこの辺で。

大磯宿の人口(天保14)3056人、家の数676軒

最寄り駅:JR東海道本線、大磯駅

東海道を歩いてきました(その7)(良太郎)

良太郎です。年で一番昼の長い時期ですね。活動時間が長くなり、ちょっと得した気分です!…とは言ったものの、夜も大好きなんですけどね(^_^;

さて、またまたやって来ました良太郎の東海道シリーズ!今回は第7弾になります!それでは、始まり始まり~(^^)

7.平塚

相模川(馬入川)を越えて平塚の宿に入って来ました。東海道の宿場の中で、規模はあまり大きくありませんが歴史は深く、東海道が家康によって制定される前から宿場としての機能を持っていたようです。
また、さらに遡ると桓武天皇の孫(平政子)がこの地で没した際に塚を作って弔ったものが「平塚(たいらつか)」と呼ばれ、平塚の語源になったそうです。

目の前には高麗山がそびえ、宿場の人々は「次の宿場へはあの山を越えて行かなければなりません」と言い旅人を泊めていたそうです。実際は山は通らず、次の宿場まで距離もかなり近いのですが…。

今の平塚は道路が広く、とても歩きやすいですが、当時を思わせる物は残っていません。ただ、案内板が随所あり、丁寧に説明してくれますよ。

それでは今日はこの辺で。

平塚宿の人口(天保14)2114人、家の数443軒

最寄り駅:JR東海道線、平塚駅

東海道を歩いてきました(その6)(良太郎)

良太郎です。東海道シリーズが始まり、日本橋から順々に進んで参りましたが、長いこと戸塚で休んでしまいました。。戸塚は江戸時代、日本橋を出た旅人が第一夜の宿を取る場所でありましたが、今回寝すぎてしまいましたねf(^ー^;
また元気一杯、歩き始めたいと思います!
それでは皆さん、大変お待たせ致しました!良太郎の東海道を歩いてきましたシリーズ、再スタートです!

6.藤沢

藤沢は江戸時代、江の島詣でや大山詣でで大変賑わった、観光色の強い宿場だったようです。旅籠にも飯盛女(旅館の給仕だが事実上遊女)が沢山居たようです。

また、藤沢は交通の要所でもあり、東海道をメインとして大山道、江の島道、鎌倉道、八王子道、厚木道など、各方面へ道が出ており、物流も盛んでした。

今の藤沢宿は車や歩行者の密度が濃くて忙しい雰囲気ですが、東海道を少し外れると遊行寺、白旗神社、常光寺など、緑が多くてのんびり気持ちを休めることが出来ますよ。

それでは今日はこの辺で。

藤沢宿の人口(天保14)4089人、家の数919軒

名物:江の島詣で、大山詣で

最寄り駅:小田急線、藤沢本町駅(宿場の京都側の出口、京方付近になります)